<< August 2016 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
ヘブル5章
※まずヘブル人への手紙5章を1回以上読んでから、御言葉メールを味わってください。

「しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。」ヘブル5:14

私たちは産まれた時には何も食べることはできません。母乳やミルクから始まり、離乳食、そして普通の食事へと進んでいきます。また、幼い頃には食べられなかったものも大人になるにつれて食べられるようになっていきます。そのように成長していきます。信仰においても同じように成長が必要です。いつまでもミルクを飲んでいる信仰ではなく、堅いものも食べられるように成長する必要があるのです。信仰が成長すると、良いものと悪いものを見分ける感覚が身についてくると聖書は語っています。主からくる良いものなのか、自分の欲や自我などから出てくる悪いものなのか、しっかり信仰で見極めながら、祝福された人生を選びとっていきましょう!KE


* 07:25 * comments(0) * - *
ヘブル4章
※まずヘブル人への手紙4章全体を1回以上読んでから、御言葉メールを味わってください。

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」ヘブル4:15


私たちの信じるイエス様は、神のひとりごです。御子なる神であるお方です。しかし、そんな神であるお方が、私たちを救うために地上に来られました。しかも、神である方が人となられたのです。ここに神の愛があります。そして、人として来られたイエス様は、罪を犯さなかったという点を除いては私たちと同じように生きられたのです。ですから、イエス様はわたしたちのこの地上での悩み苦しみを知ってくださっているお方です。私たちがつらいときや、苦しいときにも、そばにいてその辛さを苦しさを共に背負ってくださるお方です。今日もそのことを覚え、共にいてくださるイエス様を信頼し1日を始めましょう。イエス様は、わたしたちの弱さに同情してくださるお方です。KE
* 07:19 * comments(0) * - *
ヘブル2章
※まずヘブル人への手紙2章全体を一回以上読んでからみことばメールを味わって下さい。

「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」ヘブル人への手紙2:18

イエス様が人としてこの世で歩まれた時、悪魔の誘惑や試練、苦しみを避けて通られませんでした。私たち人間と同じように苦しみ悩み、全ての人の罪を背負って十字架で死なれました。しかし死に渡されたままではなく、父なる神の力によってよみがえられたのです。これらの事は人を闇から光へと導くため。死の恐怖や罪に囚われている人に永遠の命を与えて解放するため。人のために自分を犠牲にし、徹底的に共に歩んでくださる神はこの方の他にありません。この救いは完全です。救われた者にふさわしい歩みをしましょう!FK
* 07:25 * comments(0) * - *
ヘブル1章
※まずヘブル人への手紙1章全体を一回以上読んでから、みことばメールを味わって下さい。

「御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。」ヘブル人への手紙1:3


イエス様は神としてのご性質はそのままに、人としてこの世に生まれて下さいました。イエス様の言葉、力ある業、人を愛するということ、イエス様から発せられる全てにおいて天の父なる神様を表しておられました。私たち人間には、想像することや言い伝えを信じるだけでは神様に近づくことができません。それどころか自分の罪のために神様から離れるしかない者です。イエス様は唯一、人が神に近づくための道です。神と離れていることで起きている全ての不調和の解決です。FK
* 07:29 * comments(0) * - *
使徒行伝28章
※まず、使徒行伝28章全体を一回以上読んでからみことばメールを味わって下さい。

「パウロは、自分の借りた家に満二年のあいだ住んで、たずねて来る人々をみな迎え入れ、 はばからず、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えつづけた。」使徒行伝28:30-31

パウロは番兵付きで自分の思うままに出かけることはできませんでしたが、他の囚人のように獄中の生活ではなくパウロの元を訪ねてくる人々は自由に出入りすることができました。パウロ自身も誰でも受け入れて歓迎し、何にも妨げられずに福音を宣べ伝え続けました。また各地の教会を励ます手紙も書きました。パウロのいる家からどれだけ御国が広がっていったでしょうか!私たちも自分のできないことを嘆くよりも、喜んで自分のできることを精一杯して神様に仕えていきたいですね。FK
* 07:26 * comments(0) * - *
使徒行伝27章
※まず、使徒行伝27章全体を一回以上読んでからみことばメールを味わって下さい。

「昨夜、わたしが仕え、また拝んでいる神からの御使が、わたしのそばに立って言った、 『パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。たしかに神は、あなたと同船の者を、ことごとくあなたに賜わっている』。 だから、皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じている。」使徒行伝27:23-25

パウロたちが乗った船は激しい暴風で絶体絶命の危機に陥っていました。助かる望みが消えていく中で、パウロは皆を励まし続けました。それは単なる慰めではなく、神様から示されたことをもって力強く励ましたのです。私たち一人一人にも神から与えられた使命があります。その使命に生きる時、神様の守りと啓示があります。ただ目的を果たすというだけではなく、そこに向かう道のりの中でも、関わる人々に天からの望みと祝福を分かち合って周りも引き上げていくことが出来ます。そしてその事を神様は大事に思っておられます。FK
* 07:26 * comments(0) * - *
使徒行伝26章
「それですから、アグリッパ王よ、わたしは天よりの啓示にそむかず、 まず初めにダマスコにいる人々に、それからエルサレムにいる人々、さらにユダヤ全土、ならびに異邦人たちに、悔い改めて神に立ち帰り、悔改めにふさわしいわざを行うようにと、説き勧めました。」使徒行伝26:19-20

啓示とは、隠されていたものが神によって明らかに知らされるということです。パウロがイエスキリストに個人的に出会うまでは今とは正反対の立場を生きてきました。怒りに燃えてイエス様を信じる者を迫害し続けて来たパウロが今はイエス様を宣べ伝えることに命をかけている。この大転換は、イエス様との個人的な出会いと啓示によるものです。神を知り、イエス様と個人的な繋がりを持つ時に、自分の生き方が変わります。もしかすると、それまで積み上げてきたものは要らなくなるかもしれません。しかしそれ以上に私の生きる意味と目的を神から示されて、それに命をかけられることはとても幸せなことではないでしょうか?積み上げてきたものや自分の理想を置いて、神様がこれから開いてくださる道を歩みましょう。FK
* 07:44 * comments(0) * - *
使徒行伝22章
※まず使徒行伝23章を1回以上読んでから、みことばメールを味わってください。

その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」と言われた。(使徒23:11)

パウロがユダヤ人に捕らえられ殺されそうになったとき、主はパウロにあらわれ、勇気を出すよう言葉をかけられました。さらに、パウロがこれから成すべきことも示されました。主は、過酷な状況にある私たちを励ますだけでなく、どのような状況においても私たちを導かれ、主の働きに私たちを用いてくださいます。私たちがつらくてあきらめそうになるときも、主は私たちをあきらめておられません。だから立ち上がりましょう。主はあなたに期待しておられます。AT
* 07:14 * comments(0) * - *
使徒行伝22章
※まず使徒行伝22章全体を1回以上読んでから、みことばメールを味わってください。

そこで私が答えて、「主よ。あなたはどなたですか」と言うと、その方は、「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ」と言われました。(使徒22:8)

パウロが「主よ。あなたはどなたですか」と尋ねると、主は答えられました。主は私たちの呼びかけに言葉をもって答えてくださる方です。神がどのようなお方か分からない、イエス・キリストがどのような方か分からないという時、「主よ教えてください」と主イエスの御名によって祈り、聖書を読むならば、主は聖書を通してはっきりと私たちに答えてくださいます。祈りつつ聖書を開き読み続けるならば、主がどのようなお方であるかということも、主があなたに願っておられることも知ることができ、主がいつも共におられることも体験します。主を求め、捜し、門を叩いてください。行動を起こす人は主を体験します。AT
* 07:39 * comments(0) * - *
使徒行伝21章
※まず使徒行伝21章を1回以上読んでから、みことばメールを味わってください。

するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。(使徒21:13)

使命とは「命を使う」と書きます。パウロはまさに自分の命の使い方、使命をはっきりと認識していました。生きるのも死ぬのも主イエスのため、自分の命・人生は主イエスのためにあると。自分の命の使い方を知っている人は生きる目的、ゴールをしっかり見据えて人生を走るので迷うことはありません。私たちは自分の命は自分のもののように考えていますが、そうではありません。神から託された命なのです。神から託された大切な命をどう使っているか考えてみましょう。それは、何にどれだけ時間とお金を注いでいるかを考えると見えてくるでしょう。AT


高砂教会ホームページ↓
http://takasago-church.com/
Check
* 07:12 * comments(0) * - *
| 1/261PAGES | >>