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列王記下20章
※まず列王記下20章全体を一回以上読んでから、みことばメールを味わってください。

「かつ、わたしはあなたのよわいを十五年増す。わたしはあなたと、この町とをアッスリヤの王の手から救い、わたしの名のため、またわたしのしもべダビデのためにこの町を守るであろう』」列王紀下20:6

重い病で死を宣告されたヒゼキヤ王でしたが、主はヒゼキヤの祈りを聞き彼を癒し、彼の命を15年保たせて、ユダの国を敵国から主の手で守ると約束されました。神様はヒゼキヤ王が主への確かな信頼を持って民を導き束ね、国の危機を乗り越えて行くための備えをさせたのです。私たちも試練の中を通る時、弱くされ信仰が試されます。しかし神様の支え無しには立っていられないような状況こそ、実は最高の祝福です。まっすぐな心で神様に向き合い、これまでに無いくらい主を信頼することの深みへと漕ぎ出していきましょう。
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列王記下19章
※まず列王記下19章全体を一回以上読んでから、みことばメールを味わってください。

「そしてヒゼキヤは主の前に祈って言った、「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ、地のすべての国のうちで、ただあなただけが神でいらせられます。あなたは天と地を造られました。…われわれの神、主よ、どうぞ、今われわれを彼の手から救い出してください。そうすれば地の国々は皆、主であるあなただけが神でいらせられることを知るようになるでしょう」。」列王紀下19:15,19

神様を心から愛し信頼していたヒゼキヤ王は、絶望的な状況の中で何を置いても主の前に出て祈りました。そして祈る時、神が全てを造られ、全てを支配しておられる唯一のお方であるということをまず告白しています。ここにヒゼキヤ王が、自分の全てを揺さぶられるような状況にあっても、主を礼拝する姿勢を崩さない信仰者であることが表れています。私たちはどうでしょうか?悪い状況の中でも主を信頼して礼拝を捧げる時、問題の一つ一つが神様の栄光を表す機会となり、必ず私たちの人生でかけがえのない恵みの時となっていきます。
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列王記下18章
※まず列王記下18章全体を一回以上読んでから、みことばメールを味わってください。

「ヒゼキヤはすべて先祖ダビデがおこなったように主の目にかなう事を行い、 高き所を除き、石柱をこわし、アシラ像を切り倒し、モーセの造った青銅のへびを打ち砕いた。イスラエルの人々はこの時までそのへびに向かって香をたいていたからである。人々はこれをネホシタンと呼んだ。」列王紀下18:3-4

ヒゼキヤ王は、民が頼りにし、礼拝している全ての偶像を取り除きました。良いものに見えて実は私たちの心を神様から引き離すものに気をつけましょう。モーセの造った青銅の蛇は、民の心を神様に向けさせるためのものであったのに、それ自体が礼拝の対象になり、偶像になってしまっていたのです。自分のやり甲斐や満足が、主を喜び礼拝することに取って代わっていないかチェックしてみる必要があります。形だけの、自己満足の宗教行為は、いつの間にか神様との関係を冷めさせていきます。自分の中で偶像になっているものを取り除き、純粋な飢え乾きをもって主を礼拝する時、神様とのリアルな愛の関係を取り戻すことができます!
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列王記下17章
※まず、列王記下17章全体を1回以上読んでから、みことばメールを味わってください。

彼らは主のおきてと、彼らの先祖たちと結ばれた主の契約と、彼らに与えられた主の警告とをさげすみ、むなしいものに従って歩んだので、自分たちもむなしいものとなり、主が、ならってはならないと命じられた周囲の異邦人にならって歩んだ。列王記下17:15

イスラエルがアッシリヤに攻め取られてしまったのは、イスラエルが戦いに弱い国だったからではなく、イスラエルが主に対して罪を犯したからでした。その罪とは、主のおきて・主の契約・主の警告をさげすんだことです。つまり、主を軽んじ、何よりも大切な存在としなかったのです。イスラエルの民は他国の人々が拝んでいる「人間が作った神・像」を同じように大事にしたのです。 イスラエルの神は「人間を含む万物を創造された神」です。いのちを与える神です。一方「人間が作った神・像」は人間が作ったものですから、人間の支配下にあるわけです。人間の下にあるものを神とするのはむなしいことです。むなしいものに従って歩むならば、むなしいものとなる。いのちを与える神に従って歩むならば、いのち溢れる人生になるのです。このことは毎日の小さな選択の中でも問われていることだと思います。あなたはどちらを選んでいますか?
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列王記下16章
※まず、列王記下16章全体を1回以上読んでから、みことばメールを味わってください。

アハズは使者たちをアッシリヤの王ティグラテ・ピレセルに遣わして言った。「私はあなたのしもべであり、あなたの子です。どうか上って来て、私を攻めているアラムの王とイスラエルの王の手から私を救ってください。」列王記下16:7

ユダの王アハズは「その父祖ダビデとは違って、彼の神、主の目にかなうことを行わず」と2節に書かれているように、国が危機に直面した時に神に伺い、神に助けを求めることをせず、強国アッシリヤの王に貢物を捧げて助けを求めました。その時のアハズの言葉が「私はあなたのしもべであり、あなたの子です」。アハズ王は自分の主を、ユダの国の主をアッシリヤの王にしてしまったのです。 自分が何を「主」としているか気付いていないときもあるかもしれません。手っ取り早く、目に見える、良さそうに見えるものに安心を求めてしまいがちです。しかし、ピンチの時ほど私たちは慌てず、静まって神の御前に出て、自分の心を神の心に合わせていきましょう。
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列王記下15章
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彼はすべて父アマツヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。列王記下15:3

列王記下15章は次々とユダの王とイスラエルの王が登場します。その際に必ず記されているのは、その王が「主の前にどうであったか」ということです。3節に出てくるユダの王アザルヤは、父アマツヤが行ったとおりに主の目にかなうことを行ったと記されていますが、アザルヤの第三十八年にイスラエルの王となったゼカリヤは「彼は先祖たちがしたように、主の目の前に悪を行い」とあります。王たちの様々な業績については「王たちの年代記に記されている」としか触れず、必ず述べられるのは、その王が「主に対してどう生きたか」です。このことから私たちも学びたいと思います。王でなくても誰の人生においても、最も重要なことは「神に対してどのように生きたか」「神と共にどのように生きたか」だということです。この地上の人生は死から始まる永遠を生きるための準備期間のようなものです。地上の人生においてまずしっかり準備しておくことは、神との関係を築き、神に信頼し神と共に歩むことなのです。
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列王記下14章
※まず、列王記下14章全体を1回以上読んでから、みことばメールを味わってください。

あなたは、エドムを打ちに打って、それであなたの心は高ぶっている。誇ってもよいが、自分の家にとどまっていなさい。なぜ、争いをしかけてわざわいを求め、あなたもユダも共に倒れようとするのか。列王記下14:10

ユダの王アマツヤは塩の谷で一万人のエドム人を打ち殺し、土地を獲得しました。アマツヤはこの勝利を自分の力だと過信したのでしょうか、調子に乗ってイスラエルに戦いを挑みました。イスラエルのヨアシュ王の対応は冷静でした。「あなたの心は高ぶっている。誇ってもよいが、自分の家にとどまっていなさい」と忠告しました。ローマ12:3には「だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい」とあります。それぞれ任されている領域、責任を越えて思い上がるのではなく、任されいることを忠実に取り組み、成功・栄光・勝利は主にお返ししましょう。主は私たちの力の源、いのちの源です!
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列王記下13章
※まず、列王記下13章全体を1回以上読んでから、みことばメールを味わってください。

しかし、エホアハズが主に願ったので、主はこれを聞き入れられた。アラムの王のしいたげによって、イスラエルがしいたげられているのを見られたからである。列王記下13:4

イスラエルの王エホアハズは主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させていました。そのため主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、アラム王がしいたげるままにしていました。しかし、エホアハズ王が他の国々に助けを求めるのではなく、主の前にへりくだり助けを求めたので主はエホアハズの願いを聞き入れられました。たとえ間違ったり失敗しても、神の御前に立ち返り、へりくだり、神により頼むならば、神は赦してくださり、助けてくださいます。間違ったり失敗したときは、誰かを責めたり自分を守ることに必死になるのではなく、まっすぐに神のみもとに立ち返り、へりくだって神を求めることが回復の道であることを学びます。
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列王記下12章
※まず、列王記下12章全体を1回以上読んでから、みことばメールを味わってください。

ヨアシュは祭司たちに言った。「主の宮にささげられる聖別されたすべての金、すなわち、各人に割り当てを課せられた金や、自発的に主の宮にささげられるすべての金は、祭司たちが、めいめい自分の担当する者から受け取り、宮のどこかが破損していれば、その破損の修理にそれを当てなければならない。」しかし、ヨアシュ王の第二十三年になっても、祭司たちは宮の破損を修理しなかった。列王記下12:4-6

捧げられたお金によって宮の破損を修理するようヨアシュ王から命じられていた祭司たちですが、月日がかなり経っても宮の破損を修理しませんでした。 なぜ祭司たちは命じられたことをしないのか、とあきれ気味に思うかもしれませんが、私たちにも当てはまることはないでしょうか。主から命じられていること・みことばの実践がおろそかになっている。主が与えてくださっている能力や機会を充分に用いていない。牧師先生やリーダーに従順でない…など。いつの間にか自分が中心となって考え、優先順位をつけていないでしょうか。私たちの心の王座に主をお迎えし、自己中心から解放されるときに本当の自由と幸いを体験します。
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列王記下11章
※まず、列王記下11章全体を読んでから、御言葉メールを味わってください。

さてアハジヤの母アタリヤはその子の死んだのを見て、立って王の一族をことごとく滅ぼしたが、ヨラム王の娘で、アハジヤの姉妹であるエホシバはアハジヤの子ヨアシを、殺されようとしている王の子たちのうちから盗み取り、彼とそのうばとを寝室に入れて、アタリヤに隠したので、彼はついに殺されなかった。ヨアシはうばと共に六年の間、主の宮に隠れていたが、その間アタリヤが国を治めた。列王記下11:1-3

王の子どもたちが殺され、暴君が国を治めるという悲劇的な状況の中でも、次の王は神様によって用意されてしました。現在の状況が悪くても神様は必ず次のステップのための準備をしておられます。悪い状況を見て、嘆くのではなく、次のステップを備えて下さる神様を見上げて、ほめたたえましょう。
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