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士師記16章
※先ず士師記16章全体を一回以上読んでから、御言葉メールを味わって下さい。

その髪の毛はそり落された後、ふたたび伸び始めた。士師記16:22

欲望のままに生きるサムソンは、遂にハニートラップにかかり自滅していきます。、彼の怪力の秘訣は髪の毛にありました。髪の毛に魔力が宿っているということではなく、彼の場合、ハサミを入れたことのない髪の毛は神様との契約の徴でした。破天荒な生き方をしたサムソンですが、髪の毛だけが神様と繋がっている唯一の生命線でした。しかし彼はこの唯一の生命線さえも捨ててしまったのです。彼の怪力は失われ、ペリシテ人は彼を捕らえ、虐待し、囚人にしました。その様な憂き目を経験して、彼の心はやっと悔い改め、神様に向かっていきました。髪の毛が伸びめたとは、彼の信仰の状態を表しています。彼の怪力はよみがえり、沢山のペリシテ人を道連れに彼は死んでいきました。私達にも色んな失敗があり、色んな弱点があります。でも絶対に軽んじてはいけない堅守すべき関係や信条というものがあるものです。あなたの堅守すべき関係・信条は何 ですか?
* 08:18 * comments(0) * - *
士師記15章
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そこで神はレヒにあるくぼんだ所を裂かれたので、そこから水が流れ出た。サムソンがそれを飲むと彼の霊はもとにかえって元気づいた。それでその名を「呼ばわった者の泉」と呼んだ。これは今日ま でレヒにある。士師記15:19

未熟で欲するままに行動するサムソン。惚れ込んだペリシテの妻が他の男に取られたことに腹を立て復讐します。彼の言い分は「彼らが私にしたとおりに、私は彼らにしたのだ」です。復讐者共通の言 い分です。そんな直情型のサムソンですが、唯一優れているところは、神様への幼子のような率直さです。戦いの後、ひどい喉の渇きを覚えました。そこで彼は神様に祈ったのです。すると神様はひと つの泉を開いて下さいました。彼はその水を飲み、生気を取り戻しました。それでその泉は「呼ばわる者の泉」と名付けられました。人生は戦いの連続です。ひと山越えたらまたひと山あります。次か ら次に何かがやってきます。そんな時に私達の心もひどく渇いてしまいます。疲れてしまいます。精神的な疲労感で力が湧いてこないことがあります。そういう時、他のことをする前に、率直に神様に 祈りましょう。神様は私達の泉、「呼ばわる者の泉」です。私達に新しい力とやる気、瑞々しい命と希望で心を満たして下さいます。神様はあなたのために「呼ばわる者の泉」となって下さいます。祈 りましょう!
* 07:50 * comments(0) * - *
士師記14章
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父母はこの事が主から出たものであることを知らなかった。サムソンはペリシテびとを攻めようと、おりをうかがっていたからである。そのころペリシテびとはイスラエルを治めていた。士師記14:4

彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった。主はペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたからである。そのころはペリシテ人がイスラエルを支配していた。士師記14:4(新改訳)

サムソンはアウトローな士師。彼はペリシテの女性に惚れ込んで結婚しようとしています。当時ユダヤ人が外国人と結婚することは神様から禁じられていることでした。にも拘わらずサムソンは両親の 反対を押し切って結婚に突き進んでいきます。このようなサムソンの行動を聖書は「神様によることであり、神様がペリシテ人と事を起こす機会をもとめていた」と評しています。当時のイスラエルは精神的にも経済的にも完全にペリシテに屈し、刃向かうなんてことなど思いもよらなかったのではないでしょうか。そこで神様はアウトローのサムソンを用いられのです。私達も否定的な状況に飼い慣らされてしまって(洗脳されてしまって)、それ以外の発想や行動など思いつきもしないということがあります。そういう否定的な壁(洗脳)を突き破るには、ある意味、アウトロー的な発想と行動が必要です。私達の信じる神様は全能の神様です。神様に制限などありません。この神様と私達は一体です。神様の可能性を体験するために、自分の内にある制限の壁を突き破っていきましょう!
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士師記13章
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主の使は彼に言った、「わたしの名は不思議です。どうしてあなたはそれをたずねるのですか」。士師記13:18

またもや神様に背を向けたイスラエルはペリシテ人に支配されてしまいました。そこで神様は長年赤ちゃんを授からなかった夫婦に赤ちゃんを授け、その赤ちゃんを神様に捧げられた人として育てまし た。この子が大人となってイスラエルを救うのです。彼の名前はサムソン。“超人ハルク”のモデルになった人物です。このサムソンは甘やかされて育ったためか、どうしようも無く未熟で我が儘な大人となってしまいました。ところが神様はこんなサムソンを通してペリシテ人の力を砕くのです。正に「不思議」です。神様のなさる事は「不思議」なのです。人生には想定外なことが起こるものです。 自分の間違った選択でそうなるかも知れません。あるいは誰かの企みでそうなるかもしれません。誰のせいでもなくそうなってしまうこともあります。原因如何に関わらず、そのような想定外の出来事 も神様にとっては想定内の出来事です。そこから神様の「不思議」が始まります。ですから想定外な今も神様の計画の内にあることを覚え続けることです。
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士師記12章
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エフライムの人々は集まってザポンに行き、エフタに言った、「なぜあなたは進んで行ってアンモンの人々と戦いながら、われわれを招いて一緒に行かせませんでしたか。われわれはあなたの家に火をつけてあなたを一緒に焼いてしまいます」。士師記12:1

エフタは、大きな犠牲を払って自国をアンモン人から守ったにも拘わらず、その後は、後味の悪いことになりました。同胞であるエフライムの人達から「何故我々を仲間に入れてくれなかったのか。エフタの家を焼き払ってしまえ!」と攻撃されました。エフタは彼らにも呼びかけましたが、彼らが応答しなかったのです。恐らく彼らは風見鶏を決め込んだのでしょう。結果はエフタの勝利でした。エフタの名がグンと高くなりました。エフライムの人達は、エフタに嫉妬し、エフタが悪いかのように因縁を付け、彼を思いっきり侮辱しました。こうしてエフタは同胞と戦うことになってしまったのです。私達は、自分より下だと思っていた人が、突然自分より上にくると、その人に嫉妬し、つまらないことで攻撃的になってしまいます。こういう嫉妬は惨めな結果を生むだけです。どちらが上か下かでなく、神様の目にはどちらも平等に愛され、上下の問題で無く、それぞれの役割で貢献しているのです。そのことを感謝し、相手の良い所を積極的に認め、祝福することを選びましょう!
* 08:53 * comments(0) * - *
士師記11章
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「わたしはあなたに何も悪い事をしたこともないのに、あなたはわたしと戦って、わたしに害を加えようとします。審判者であられる主よ、どうぞ、きょう、イスラエルの人々とアンモンの人々との間をおさばきください」。しかしアンモンの人々の王はエフタが言いつかわした言葉をききいれなかった。」士師記11:27-28

エフタは主を中心にしていました。しかし、アンモンの王はそれを聞き入れませんでした。私達も日々歩んでいる中で、主を中心にし、主の導きに従おうとしているにもかかわらず、理解されなかったり、なかなかうまくいかないことがあります。しかし、たとえうまくいかなかったとしても、信頼すべきは主であり、私達を救ってくださるのも主です。そのことをしっかりと握りながら、主を歓迎し今日も歩んで参りましょう。
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士師記10章
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「イスラエルの人々は主に言った、「わたしたちは罪を犯しました。なんでもあなたが良いと思われることをしてください。ただどうぞ、きょう、わたしたちを救ってください」。そうして彼らは自分たちのうちから異なる神々を取り除いて、主に仕えた。それで主の心はイスラエルの悩みを見るに忍びなくなった。」士師記10:15-16

創造主なる神様は、私達の祈りに応えて下さる神様です。 今日の箇所を見ても、主を捨て偶像礼拝するイスラエルの民に対して主は怒られましたが、悔い改め、偶像を捨て主に仕えようとするイスラエルの人々に対して、主は心を動かされました。主は人格を持っておられます。なので、私達が本気で主を呼び求めるなら、応えて下さいます。もし主に対して罪を犯していたとしても、悔い改めて切に祈るなら主は応えて下さいます。私達の主はそのようなお方です。今日もそんな主を信頼して、主に祈って1日を初めてまいりましょう。
* 07:05 * comments(0) * - *
士師記9章
※まず士師記9章全体を1回以上読んでから、御言葉メールを味わって下さい。

「このように神はアビメレクがその兄弟七十人を殺して、自分の父に対して犯した悪に報いられた。」士師記9:56

神様は報いられる神様です。もちろん良い行いにも報いて下さいますし、反対に悪や罪をそのまま置いておかれないお方です。良い行いについての報いは感謝して受け取ればいいのですが、犯してしまった悪や罪に対して、私達はどうするべきなのでしょうか。その答えは悔い改める事です。「悔い改める」という言葉を聖書の原語の意味を調べてみると、「向きを変える」という意味です。今まで歩んできた罪の道から向きを変えて歩んでいく、これが私達のなすべきことです。 私達人間は罪を犯したくなくても犯してしまうものです。その度ごとに悔い改め、イエス様の十字架によって私の罪は赦されているということを感謝して歩んでいきましょう。イエス様の十字架は全ての人の全ての罪のためです。
* 07:46 * comments(0) * - *
士師記8章
※まず士師記8章全体を1回以上読んでから、御言葉メールを味わってください。

「ギデオンが死ぬと、イスラエルの人々はまたもバアルに従って姦淫し、バアル・ベリトを自分たちの神とした。」士師記8:33

士師記6章から順に読んでいくと、ギデオンのストーリーが描かれています。 ギデオンは、神様の言葉に従い、忠実に歩んでいました。それにより主は、イスラエルに勝利を与えられ、イスラエルの内に太平を与えられました。しかし、指導者であったギデオンがなくなると、イスラエルの民たちは、イスラエルの神、主を忘れ、偶像礼拝へ進んで行きました。文章だけ見れば、「情けない自分勝手な民たち」と思ってしまうかも知れませんが、ここに人間の弱さが表されています。ギデオンという目に見える指導者がいたからこそ、イスラエルの民はギデオンを通して語り働かれる主を信じていました。しかし、そのギデオンが居なくなってしまうと、偶像礼拝へすすんでいってしまいました。確かに目に見えないものを信じるより、目に見えるものを信じる方が楽です。しかし、目に見えないものを信じることこそが信仰であると聖書は教えています。そして私達が信じるべき神様は目に見えません。私達も自分達の周りにある目に見えるものではなく、目に見えない神様を信頼して歩んで生きましょう。
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士師記7章
※まず士師記7章全体を1回以上読んでから御言葉メールを味わってください。

そこで主はギデオンに仰せられた。「手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す。残りの民はみな、それぞれ自分の家に帰らせよ。」士師記7:7

主はギデオンに民の数が多すぎるから減らすように言われました。そして、2万2千人が帰って行き、1万人が残りました。民の数が半分以下になったにも関わらず、主はさらに減らすように言われます。そして最終的に残ったのは、300人でした。3万人以上いたはずが残ったのはたった300人でした。これは人間的にはありえないことです。7:2で主が「イスラエルが『自分の手で自分を救った。』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。」と言われているように、人間に絶対に不可能な状況にされました。しかしそれにより、私たちは自分ではなく主に目を向けることができ、主の偉大さを知ることができます。今日も自分の領域で考えるのではなく、主の偉大な考えに合わされて行きましょう。今日も主が素晴らしいことを用意してくださっています。
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