イエス様ありがとう

  • 2024.03.19 Tuesday
  • 07:00

「彼は私たちの背きのために刺し貫かれ 私たちの過ちのために打ち砕かれた。

彼が受けた懲らしめによって 私たちに平安が与えられ 彼が受けた打ち傷によって私たちは癒された。」

イザヤ書53章5節(聖書協会共同訳)


今は、受難節、イエスさまの十字架を思う時です。

「ジーザス」という映画を見たことがあるでしょうか。イエス様の十字架の日、そこには、周りの人の憎しみとからかい、女たちの涙、天の暗さ、そしてイエス様の傷んだ血まみれの姿がありました。

心が潰れそうになります。


どうしてここまで?何のために?


イエス様は、私の罪のために。

私を救うために。私を癒すために。

死んでくれた。


そしてこの先にはイエス様の復活がある。


私たちは、命を捧げるほどの主の愛で、愛されています。


私の痛みを負ってくれた方

  • 2024.03.18 Monday
  • 07:00

「彼が担ったのは私たちの病 彼が負ったのは私たちの痛みであった。しかし私たちは思っていた。彼は病に冒され、神に打たれて苦しめられたのだと。」

イザヤ書53章4節(聖書協会共同訳)


今、私たちは受難節を過ごしています。


イエスさまの十字架。

それは唯一の救いの道。


だれも想像できなかった特別な仕方で、神様は御旨を表されました。

神様のご計画は、人の思いを越えていました。


このシーズン、一人ひとりが、みことばを深く黙想し、イエス様の十字架の意味を思うことができますように。

喜びとまごころの食事

  • 2024.03.16 Saturday
  • 07:00

46そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、

 47神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。

使徒行伝2章46〜42節



初代教会が大切にしていたこと、それは「食事」です。

いつもよろこびと、まごころをもって、食事を共にしていたといいます。

この交じりが初代教会の強みの一つでした。


食事はいわゆる家族を意味する行為です。心をゆるし、相手を受け入れているという状態です。

イエス様もいつも人々と、罪人たちと食事を通して交わっておられました。


私たちの日々の生活の中の神の家族との交わりはどのようなものでしょうか?

誰かと一緒に食事するときや、教会やセルでの交わりなど、全ての交わりの時がますます愛に溢れ、喜びに溢れる場となるように努めてまいりましょう!

交わりが祝福されるとき、教会はすべて人に好意が持たれ、地域に輝きを放っていき、救いの御業が確かに起こっていくでしょう。AK

家ではパンを裂き

  • 2024.03.15 Friday
  • 07:19

46そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、

 47神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。

使徒行伝2章46〜42節



初代教会は心を一つに宮に集まっていたと同時に、それぞれの家々でよく集まっていました。

そこでは、パンを裂き、ともに食事の時をもっていたそうです。


パンを裂くとは、イエス様が弟子たちに最後に言い残した聖餐式のことです。

これはわたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい、、、

そのイエス様の言葉通り、それぞれの家で集まったスモールグループの中で、

そこのリーダーがパンを裂き、配っていたと言います。

家々でイエス様のいのちが分かち合われていました。


私たちも、そのように次はイエス様のいのちのパンを分け与えるものとして歩むチャレンジをしたいと思います。

それぞれ置かれたセルや家族、スモールグループの中でともにイエス様を深く味わい礼拝していく、そんな時間を持てたらと思います。

その時、神の国はますます力強く表され、救いが広がっていくと信じます。AK

日々心を一つにして

  • 2024.03.14 Thursday
  • 07:00

「46そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、

47神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。」

使徒行伝2章46〜47



初代教会の特徴として挙げられているのは、「日々心を一つにしていた」ということです。


教会には、様々な人たちがいます。

イエス様を知らなかったら絶対に知り合いになっていないし、

関わることがなかったであろう方々がどれだけいるでしょうか。

しかし、事実として主は教会のメンバー1人ひとりを呼び集め、神の家族としてくださいました。

そこには神様の摂理があり、計り知れない神様の愛の表れがあります。


私たちは時に兄弟姉妹に傷つくこともあるでしょう。

牧師やリーダーに不満を抱き、組織に失望することもあるでしょう。

その時私たちは教会を諦めて、離れることもできます。


しかし、主にある私たちは決して教会を諦めることはしないのです。

なぜなら、たとえどんな人の集まりであってもそれはキリストのからだだからです。

すでに一つとされた霊的共同体なわけです。


ですから、私たちは教会を決して諦めることはなく、

絶えず主にある教会を信じ歩んでまいりましょう。


心を一つにして集まる時、そこに神の栄光は表されていくと信じます。

聖霊様どうぞ弱い私たちを今朝も助け導いてください。AK

いっさいのものを共有し

  • 2024.03.13 Wednesday
  • 06:59

「44信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、

45資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。」

使徒行伝2章44-45節


初代教会の具体的な姿をこのみことばから見てとれます。

初代教会はさらにすべてのものを共有し、持ち物を売って互いの生活を支え合っていたと言います。

そのまま今の時代に当てはめることは難しいかもしれませんが、大切なのは私たちのものはすべて主から預かっているものである、という意識です。私たちが持っているものは全部神様が与えてくださったものであり、それを主の栄光のために用いることが神様の御心です。

そのために、私たちは一人ひとりに与えられた賜物や個性を生かしながら支え合うチームとして歩むことができます。


自分の持ち物も能力も時間も、誰かのためにと捧げていくときにそれは祝福となり広がっていきます。

私たちは今持っているものの中から何を主のために捧げることができるでしょうか?

そのことを祈りつつ今日の1日を始めてまいりましょう。

AK

小さな共同体から

  • 2024.03.11 Monday
  • 07:00

「41そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。 

42そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。」

使徒行伝2章41〜42節



聖霊が注がれて、力強く誕生した初代教会は、

前例や伝統が存在しない、全てが初めての、

言わば教会のパイオニア的存在でした。

そこでなされていたことは、ひたすら主の教えを守り、交わりをもち、パンを裂き、祈っていたということです。とてもシンプルな信仰の姿です。


一日にして三千人が救われた初代教会です。いきなりのメガチャーチでした。しかし、その実態はものすごく小さな共同体の姿のようでした。

もちろん、大規模な集会やイベントは効果的でしょう。しかし、おろそかになってはいけないのは、小さな共同体の関わりでした。


私たちの信仰生活においても、まず家族や友人、セルの仲間など、

まずは小さな関わりを大切にしたいと願います。

ともに励まし合い、みことばに従うこと、また主の恵みを分かち合い、祈り合うこと、そこから力強い教会が建て上げられていくと信じます。


今日も主の声を聴いて、私たちにできることを祈り求めつつ1日を始めてまいりましょう。AK

頭はキリスト 次代へ託す城壁完成後の任命

  • 2024.03.09 Saturday
  • 07:00

城壁が再建され、私がとびらを取りつけたとき、門衛と、歌うたいと、レビ人が任命された。
 私は、兄弟ハナニと、この城のつかさハナヌヤとに、エルサレムを治めるように命じた。これは、ハナヌヤが誠実な人であり、多くの人にまさって神を恐れていたからである。ネヘミヤ記 7章1-2節 新改訳2017


神を排除した社会では、働きや能力に長けて、リーダーシップの秀でている人をリーダーに任命することが大半です。

 

しかし、霊的な共同体である教会は違います。

教会はイエスキリストが頭ですから、指導者やリーダーは立場ではなく、役割を果たすために任命されます。

基準は「誠実さと多くの人にまさって神を恐れていること」。

人々は、お互いの弱さを補い合う、フォロワーシップを重んじます。

 

城壁の建て上げ同様、教会設立や信仰の建て上げのストーリーは、神様の感動に満ちています。
人々は主のもとに一つとなり、力を合わせ築き上げます。

 

築き上げた後の大きな群れや小グループを任されるのは、誠実な人であり、多くの人にまさって神を恐れている人です。

指導者やリーダーの誠実さと神への恐れは、集まる人々に伝わります。

その集まりに競争や比較、自己実現はありません。
だから、誰もが安心して集います。

そして、神の家族に属する共同体は、地域の人々に良き影響力をもたらします。

 

私たちは、「私の主はイエスキリストです」と告白し続けます。
私たちは、弱さを補い合い、神様に任された神の家族の共同体に誠実に仕えます。

この継続が城壁のように建てあがり、次に引き継がれます。NT
 

 

 

 

人々は知ります

  • 2024.03.08 Friday
  • 07:00

私たちの敵がみなこれを聞いたとき、周囲の国々の民はみな恐れ、大いに面目を失った。

この工事が私たちの神によってなされたことを知ったからである。

ネヘミヤ記 6章16節 新改訳2017

 

城壁完成のニュースを聞いた時、敵は驚き恐れました。

完成させることなんてできない状況に追い込んでいたはずだったのに。

それが、神によって成されたことを知ったからです。

 

私達の心は霊的戦いにさらされています。
敵は私達が霊的(心の)城壁を築くことを恐れています。

神の存在を証明されることを恐れているからです。

そのためにあらゆる妨害をしてきます。

私たちは自分の力で霊的城壁は築けません。

しかし、弱さを聖霊様に委ねるなら、破れ目を塞いでくださいます。

聖霊様が心の城壁となってくださいます。

聖霊様に心の城壁を築き直していただくのです。
そして、主のみことばの剣を心の城壁内に満ち溢れさせるのです。

敵はもはや、私たちの心の城壁内に侵入することができなくなります。

周りの人達がはっきりわかるほど私達は聖書のみことばと聖霊様によって変えられます。

人々は私たちをつくり変えてくださった神様を知ります。

私たちはキリストの証人となるのです。NT

 

 

霊的城壁の築き

  • 2024.03.07 Thursday
  • 07:00

サンバラテ、トビヤ、アラビヤびとガシムおよびその他のわれわれの敵は、わたしが城壁を築き終って、一つの破れも残らないと聞いた。(しかしその時にはまだ門のとびらをつけていなかったのである。)ネヘミヤ記6章1節 口語訳

 

うまくいかない時もありました。

恐れと不安で押しつぶされたこともありました。

気力を失ったこともありました。

途中で、働きを辞めてしまったこともありました。
それでも、神の励ましを受け立ち上がりました。

城壁再建に取り組み続けました。
敵は、驚きをかくせませんでした。

 

執拗な妨害のなか、一つの破れ目もなく、城壁は完成したのです。

神様を信頼して取り組んだ結果です。

私達がイエスキリストを信じる信仰により霊的城壁を築くなら、敵は驚き、神に属する民は歓喜します。

神様が成してくださいます。

 

私たちには、主が共におられます。

十字架上で私たちのために命を投げうち、救いを成し遂げてくださったイエス様が私たちの主です。

このお方は私たちを決して見放しません。
一日の一つ一つの取り組みを「私の主はイエスキリストです」と霊的城壁の宣言をもって臨みます。NT


 

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM