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2018年12月15日のつぶやき
07:43
伝道の書7章 https://t.co/i7Io7q4scj #jugem_blog
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伝道の書7章

※まず、伝道の書7章を一回以上読んでから、みことばメールを味わってください

 

知恵が身を守るのは、金銭が身を守るようである。しかし、知恵はこれを持つ者に生命を保たせる。これが知識のすぐれた所である。伝道の書7:12

 

聖書は知恵と知識を重んじています。頭がキレる、物知りであれというのではありません。知恵とは神を知ることに他なりません。 神を知り、畏れ敬うこと。神のことばから悟ること。この知恵と知識が生命を保つ源です。 襲って来る虚無感、他者からの破壊的な言葉や入り込んでくる否定的な感情に振り回されてはなりません。それらは、神の造られた生命に傷をつけようとします。悪魔もまた存在するのです。 聖書は神を知る知恵と知識を勧めています。

 

詩篇111:10ab 主を恐れることは知恵のはじめである。これを行う者はみな良き悟りを得る。

 

箴言 2:5-6 あなたは、主を恐れることを悟り、神を知ることができるようになる。これは、主が知恵を与え、知識と悟りとは、み口から出るからである。

 

生命を保たせるのは神の願われていることであり、また、私たちにはその道が備えられ示されているのです。 主なる神から離れてはなりません。神の願われている生命に満ち溢れるために、御霊とみことばによって神を知る知恵と知識を悟らせていただきましょう。求める者には与えられます。NT

* 07:42 * comments(0) * - *
2018年12月14日のつぶやき
16:21
私たちの祈りは、永遠の神のみ前で覚えられている。だから祈りは生き続けるのです。 場所: 高砂教会 https://t.co/JJqkTvTvxN
09:55
幸福は健全な習慣(思考、行動、言葉)という土台の上に建てられるもの。幸運はこの土台がないと不運となる。健全な習慣のないところに幸福はない。 場所: 高砂教会 https://t.co/au1U5M69BK
07:50
伝道の書6章 https://t.co/Nxk9mjCYlu #jugem_blog
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伝道の書6章

※まず、伝道の書6章を一回以上読んでから、みことばメールを味わってください。

 

人の労苦は皆、その口のためである。しかしその食欲は満たされない伝道の書6:7

 

仕事の大変さはいつの世にもあります。 何のために働くのかと疑問をもつこと。食べるため、生活のため、自己実現のため、また、仕事や働きに不満をもつ。これらは自己充足を求めるに他なりません。飽くことのない願望や本能的欲求を基準に働く意味を見出そうとすると、毎日続く仕事に対して苦しさを感じ、虚しくなります。なぜなら、欲求や願望は満ち足りることがないからです。

 

満ち足りることのない自分の欲求や願望に振り回されず生きるには、基準が必要です。信念をもって働き仕える。これも基準があってこそです。私たちの仕事は無駄ではなく、有益なものです。仕事に対してどう思おうと、その仕事は神が与えてくださっているのです。そして、神を覚えながら取り組む仕事は、空しいものではありません。

 

聖書は働くことを推奨しています。 聖書を基準とし、聖書の勧めに従うとき、むなし手に終わらず、必ず報いの約束が伴っています。聖書の勧めに従うことは、神のためにすることでもあります。 働く事に対して心をどこに向けるか、これが大事です。今日も神の与えてくださった仕事であると心に覚え、忠実に仕え働いていきましょう。NT

* 07:48 * comments(0) * - *
2018年12月13日のつぶやき
20:55
シンプル?? 場所: 高砂教会 https://t.co/n2JhANcWds
07:47
伝道の書5章 https://t.co/JaA3E60xsY #jugem_blog
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伝道の書5章

※まず、伝道の書5章を一回以上読んでから、みことばメールを味わってください。

 

彼は母の胎から出てきたように、すなわち裸で出てきたように帰って行く。彼はその労苦によって得た何物をもその手に携え行くことができない。人は全くその来たように、また去って行かなければならない。伝道の書5:15ー16a 

 

死んだらただ、無になるだけだと無神論はいいます。そして、神はいないというための神観を持っています。 無神論にも神観があっての無神論なのです。不思議に思いませんか。裏を返せば、「有りて有る」お方を意識しているのです。 私たちが生を全うするとき、物を持って次に行くことはできません。しかし、イエス・キリストを主と告白し、聖霊の証印を押されている者には、天での報いがあると聖書には書かれています。これは神の約束なのです。 神の約束は絶対に成ります。古代イスラエルでは、神が約束された通り、悪に走る者であろうとダビデ王家から王が絶えることはありませんでした。そして、預言通り、ダビデの家系から永遠の王の王であられるイエス様が誕生しました。

 

ヘブル人への手紙 11章1節 「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」

 

私たちは、自分の考えに神を合わせるのではなく、信仰を持って、生命を与えてくださる神に自分を合わせていきましょう。 私たちは死んだら無ではなく、この地上から天での生命に繋がっていく望みがあります。これは神の約束です。私たちはそこに信仰を抱いているのです。NT

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2018年12月12日のつぶやき
08:12
高砂教会に写真を投稿しましたhttps://t.co/Se1YO4PgMF
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2018年12月11日のつぶやき
10:55
解らない‥と足踏みばかりしないで、小さな一歩を踏み出してみよう!それが信仰じゃないかな。 場所: 高砂教会 https://t.co/wKO2R475LL
10:54
解らない‥と足踏みばかりしないで、小さな一歩を踏み出してみよう! 場所: 高砂教会 https://t.co/mn6HvYB0v9
07:42
伝道の書3章 https://t.co/Yi5FhtBG0a #jugem_blog
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伝道の書3章

※まず、伝道の書3章を一回以上読んでから、みことばメールを味わってください。

 

天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。伝道の書3:1

 

この地上においては、時だけが平等に刻まれています。ある人にはゆっくり、ある人には早くとはなりません。 どんな状況であろうとも、この地に存在するもの全てに1秒は1秒です。何をするにも時があります。 真の幸いを、充足を探し求め、あらゆることをした作者は、地上のものからは永続的に心を満たし続けるものを見出せませんでした。 逆にあらゆることから空しさを見出します。探すうちに時は進むばかり。やがてこの世の生を全うする時がきます。 人が死を恐れるのは、霊的に死後の裁きを知っているからです。地において神を知る者は死の恐れから解放されます。 生を全うした時に、地上で父と呼び続けた父なる神との出会いに希望を持てるからです。希望ある死の恐れなく過ごす人生、それこそ地上での真の幸いにつながります。遺るものにも慰めを与えます。神を抜きにした人生に真の充足はありません。人が神を知るのに時があります。真の幸いを見つけるその時がこの地上での時となりますように。NT

* 07:41 * comments(0) * - *
2018年12月10日のつぶやき
09:21
伝道の書2章 https://t.co/Qd6jeLTfZi #jugem_blog
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